東京地方裁判所 平成5年(特わ)707号 判決 1993年11月18日
主文
被告人を懲役二年に処する。
未決勾留日数中一八〇日を右刑に算入する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、法定の除外事由がないのに、平成五年二月下旬ころから同年三月一一日までの間に、神奈川県、愛知県、静岡県、東京都又はその周辺において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパン若干量を自己の身体に摂取し、もって、覚せい剤を使用したものである。
(証拠の標目)(省略)
(弁護人の主張に対する判断)
弁護人は、本件は、公訴の提起に至るまでの捜査の過程において憲法に違反する数々の重大な違法捜査があったから、そのような捜査を基礎にしてされた本件公訴は、棄却されるべきであると主張し、さらに、本件訴因は、訴因の特定に欠けるところがあるので、公訴は棄却されるべきであると主張する。
また、弁護人は、仮に公訴棄却の主張が認められないとしても、本件では、違法な職務質問と所持品検査が行われ、それによって被告人は逮捕され、更に違法な採尿手続によって被告人の尿が採取され、被告人の自白調書等が作成されたものであり、被告人の有罪を証する証拠は違法収集証拠として証拠とすることが許されないから、被告人は無罪であると主張する。
そこで、以下裁判所の判断を示す。
第一 公訴棄却の主張について
一 弁護人は、本件は、公訴の提起に至るまでの捜査の過程において憲法に違反する数々の重大な違法捜査があったから、そのような捜査を基礎にしてされた本件公訴は、棄却されるべきであると主張するが、本件の捜査には違法なところがなかったことは、後に判断するとおりであり、右主張は前提を欠くから、その余について触れるまでもなく採用できない。
二 次に、訴因の不特定を理由とする公訴棄却の主張について判断すると、本件公訴事実の記載は、犯行日時、場所の表示にある程度の幅があり、かつ、使用量、使用方法の表示にも明確さに欠けるところがないとはいえないが、覚せい剤の使用の罪という本件事案のもとでは、検察官において、公訴提起当時の証拠に基づきできる限り特定したものであると認められるから、訴因の特定に欠けるところはないというべきである。弁護人の右主張も採用できない。
第二 無罪の主張について
一 証人道下敏明、同末吉章及び同齊木清稔の各証言、司法警察員作成の写真撮影報告書二通(ただし、いずれも不同意部分を除く。)、司法警察員作成の鑑定嘱託書謄本並びに警視庁科学捜査研究所第二化学科主事作成の鑑定書によれば、本件の捜査の経過等として、概略次のような事実が認められる。
1 警視庁三田警察署警察官道下敏明は、同警察署警察官浅見とともに、平成五年三月一一日午前三時五分ころ、東京都港区芝四丁目一一番先路上をパトカーで警ら中、反対車線で信号待ちをしている被告人運転車両を目撃した。道下は、同車両が信号機が青に変わってもすぐに発進しなかったので不審と認め、Uターンして、被告人車両の後尾について、職務質問のために被告人車両を停止させようとしたが、被告人車両が発進したため、サイレン及び赤色灯をつけて追跡し、停止を求めた。被告人車両は、直ちに停止せず、約二・七キロメートル先で停止した(以下、被告人車両が停止した地点付近を現場という。)。
2 現場には、そのころ、道下らが乗車していたパトカーのほかに、二名の警察官が乗車する本部のパトカーが応援に駆けつけてきた。道下は、パトカーから降車して直ちに職務質問を開始し、被告人が免許証不携帯であることが判明した。道下は、さらに照会した結果、被告人には多数の覚せい剤事犯の前歴等があることが判明したことや被告人の言動、態度等にまともでないところがあったため、被告人に身体の捜検や所持品検査に応じるように求めたが、被告人はこれを拒否した。道下は、その後約二〇分間にわたり、所持品検査等に応じるよう説得行為を続けるとともに、三田警察署に応援を求めた。
3 三田警察署刑事防犯課保安係所属の警察官である齊木清稔巡査部長は、三月一一日当夜は宿直勤務に当たっていたが、道下らからの連絡を受け、大石巡査とともに乗用自動車(以下「捜査車両」という。)で現場に駆けつけた。齊木は、現場に到着後、道下から状況を聞き、その後は専ら齊木において被告人に対する説得に当たることになった。齊木は、道路上で被告人と話をした後、被告人を促して、被告人車両の後方に停止しているパトカーのさらに後方に停止した捜査車両に乗せ、同車内で被告人に対し、所持品検査等に応ずるよう説得を行った。
4 齊木において、捜査車両内で被告人を説得中、本部パトカー乗務の警察官から齊木に被告人車両の中に白いものがあるとの報告があった。齊木が被告人に確かめたところ、それは砂糖であるということであったが、齊木はこれを調べることとし、後記認定のような経緯で、被告人車両の運転席から助手席辺りに散らばった砂糖様のものについて、覚せい剤の予試験が行われた。その結果は、覚せい剤反応が出なかった。
5 そこで、齊木は、さらに被告人車両を調べる必要性があると認め、後記認定のような手続を経て、齊木の指示に基づき、道下、浅見において、被告人車両の中を検査し、運転席の下奥の方からビニール袋に入った覚せい剤様のものが発見された。
6 齊木は、覚せい剤の予試験のための試薬がなかったため、被告人に三田警察署への同行を求め、被告人を捜査車両に同乗させ、被告人車両は道下が運転して、三田警察署に向かった。
7 三田警察署に到着後、直ちに被告人の面前でビニール袋に入った覚せい剤様のものについて予試験が実施されたところ、覚せい剤反応が出たので、被告人は、覚せい剤の所持の罪で現行犯逮捕された。
8 齊木は、その後、被告人に対し、腕を見せるように言い、注射痕が確認できたので、尿を提出するように促したが、被告人がすぐには出ないということであり、また、時刻もすでに明け方近い時間になっていたので、採尿の手続はいったん寝てから行うことにした。
9 三田警察署刑事防犯課保安係所属の警察官である末吉は、三月一一日午前、被告人に尿の提出を促し、被告人はこれを提出した。その際、被告人は、任意提出書、所有権放棄書、鑑定承諾書を作成した。提出された尿は、鑑定嘱託され、この尿からは覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンが検出された。この趣旨を記載した鑑定書は、三月一二日付けで作成されている。
二 以上が本件の捜査の過程の概略であるが、これに対し、弁護人は、この捜査の過程には種々の違法な手続があったと主張し、被告人もこれに沿う供述をしているので、そのうちの主要なものについて、さらに検討を加える。
1 齊木が現場に到着するまでの手続について
道下が被告人運転車両を停止させるまでの状況は、前記認定のとおりであり、職務質問を開始した点に違法なところはない。被告人が免許証の不携帯であることが判明した後の道下による職務質問の態様についてみても、被告人がパトカーから停止を求められたにもかかわらず、直ちに運転車両を停止しなかったことや被告人の言動、態度等にまともでないところがあったことから、被告人に所持品の検査等に応ずるように求めるなどの説得行動をしたものであって、違法というには当たらない。被告人は、道下らに道路上で取り囲まれ、身動きもできない状態にされたと供述するが、証人道下の証言に照らし、信用できない。
2 齊木が現場に到着後、被告人車両を検索するまでの手続について
現場に到着して齊木において職務質問をしたことにも前同様、違法の点はなく、また、被告人を捜査車両内に移動させたことも違法ではない。もっとも、被告人は、齊木は被告人の皮ジャンパーの右肩付近を掴んで被告人を移動させた旨供述するが、証人道下及び同齊木の各証言に照らし、信用できない。したがって、また、被告人の右供述を前提にして、齊木の行為は実質的に逮捕行為に当たるという弁護人の主張も採り難い。
3 被告人車両の検索について
弁護人は、齊木らは、被告人の承諾がないのに勝手に被告人車両のドアーを開いて検索したものであるが、これは強制にわたらない範囲で許される所持品検査の限界を超えており、違法であると主張する。
証人齊木の証言によれば、被告人車両に白いものがある旨の報告が齊木にあり、齊木が被告人に確かめたところ、被告人はそれは砂糖であると述べたこと、齊木は、調べてみなければわからないではないかと被告人に言い、被告人は、見てくださいよと返答し、両名は、捜査車両から降り、被告人車両に向かったこと、被告人車両の運転席から助手席辺りに散らばった砂糖様のものについて、齊木らが携行してきた試薬を用いて覚せい剤の予試験が行われたが、結果は、覚せい剤反応が出なかったこと、そこで、齊木は、さらに被告人車両を調べる必要性があると認め、被告人に対し、車を調べるぞと言い、これに対し、被告人は、もうしょうがないですよ、やってくださいといった趣旨の返事をし、これを受けて、齊木の指示に基づき、道下、浅見において、被告人車両の中を検査したこと、検査の結果、運転席の下奥の方からビニール袋に入った覚せい剤様のものが発見されたことが認められる。
もっとも、この点について、証人道下の証言中には、砂糖様のものについて予試験が行われた後、特段説得行為もなしに被告人車両の検索が行われたように述べる部分があり、また、被告人が被告人車両を検索することについてどういうことを述べて承諾をしたのかについてあいまいな供述にとどまっている部分が存するところである。しかしながら、前記のとおり、齊木が現場に到着してから後は、被告人に対し説得に当たったのが専ら齊木であったこと、道下は、齊木の指示に従って行動していたにすぎないことなどを考えると、証人道下の右証言部分をもって、証人齊木の証言との間に矛盾があり、証人齊木の証言の信用性を疑わしめるとまでいうことはできない。証人道下の証言によっても、被告人車両の検索に際して、被告人は特別文句をいうというようなことはなかったことが認められ、この点では、証人齊木の証言が裏付けられている。
これに対し、被告人は、被告人が二回にわたり捜査車両に入れられている間に、警察官らに勝手に車のドアーを開けられ、車の中を調べられた旨の供述をするところであるが、右供述は、捜査車両に乗った回数を含め、証人道下及び同齊木の各証言に照らし、信用することができない。
以上によれば、本件では、被告人車両の検索に当たり、被告人が、積極的にとまではいえないけれども、これに対し承諾をしたものと認めるのが相当である。
4 覚せい剤が発見されて後、三田警察署に留置されるまでの手続について
覚せい剤様の結晶が発見された後、覚せい剤の予試験のための試薬がなかったため、予試験等を行うために、三田警察署まで同行を求めた齊木らの行為に違法な点があるとは認め難い。証人道下及び同齊木の各証言によれば、被告人は、「しょうがない」という趣旨のことを言い、がっかりした様子であり、特に抵抗等をしていないことが認められる。これに対し、被告人は、三田警察署に向かうに当たり、現行犯逮捕すると告げられ、手錠をかけられたと供述するが、証人道下及び同齊木の各証言に照らし、信用できない。
証人道下及び同齊木の各証言によれば、三田警察署に到着して後、直ちに被告人車両から発見された覚せい剤様のものについて予試験が行われたが、この予試験は、被告人の同意を得て被告人の面前で実施されたことが認められる。被告人は、予試験の結果陽性の反応が出てから後、色が変わったと言われて初めて見たと供述しているが、証人道下及び同齊木の各証言に照らし、信用できない。
被告人は、この予試験において陽性の反応が出た結果同警察署において、現行犯逮捕されたものであり、この手続に違法な点は認められない。
5 本件採尿の手続について
証人齊木及び同末吉章の各証言によれば、被告人は、逮捕され、弁解録取されて後、齊木から尿も出してもらう旨告げられたが、その際には提出することなく、いったん留置場に移され睡眠をとったこと、三月一一日午前一一時ころ、末吉は、被告人の腕の注射痕を確認した後、被告人に尿の提出を求め、被告人もこれに応じて尿を提出したこと、尿提出後、被告人の面前で封印等の手続が行われ、さらに被告人が任意提出書、所有権放棄書、鑑定承諾書を作成した上、この尿は鑑定に回されたこと、この尿の提出等の手続を行うに際しては、被告人が抵抗するなどといったことは全くなかったことが認められる。
弁護人は、被告人は尿の提出に当たり、警察官から「強制で採尿できる、悪あがきはやめろ」と言われて、尿を提出したものであるから、任意に提出したものとはいえず、実質的な強制による採尿であると主張し、被告人もこれに沿う供述をしている。しかしながら、実際に尿の採取を担当した末吉において、そのような発言をしていないことは、被告人自身も認めるところである。被告人が強制で尿を採られるくらいなら尿を提出した方がよいと考えたとしても、それ故にその提出に任意性がないといえないことは明らかであり、右主張は採用できない。
また、被告人が提出した尿がその後他人のものとすり替えられたなどと考える余地がないことは、証人末吉の証言に照らしても明らかである。そうすると、被告人の提出した尿から、覚せい剤が検出している事実は、優にこれを認めることができる。
6 その他の手続について
弁護人は、被告人は逮捕直後から弁護士に会いたいと考え、警察官に林弁護士と連絡をとるように依頼していたにもかかわらず、警察官はこれを怠ったから、この点において、弁護人選任権を侵害した違法があると主張する。
しかし、証人末吉の証言によれば、林弁護士は被告人の民事事件に関して警察署に来たことは認められるが、同弁護士は刑事事件の関係で弁護人になる意思はなかったのであり、したがって、同弁護士と面接していないことをもって、弁護人選任権の侵害をした違法があるということはできず、その他、勾留されるまでの被告人の供述に照らしても、警察官において、被告人が弁護人を選任しようとすることをことさら妨害するようなことがあったことを窺わせるような事情も認められない。弁護人の右主張も採用の限りでない。
7 まとめ
本件は覚せい剤の使用の事件であり、その証拠のうち最も重要な証拠の一つは、被告人が提出した尿から覚せい剤が検出されているということである。そして、被告人が尿を提出する過程については、これが任意にされたものであると認めることができることは前記のとおりである。したがって、問題は、その前手続として、被告人が逮捕された手続に違法がないかどうか、さらにいえば、被告人車両内の検索について、被告人の承諾があったといえるかという点にある。そして、この点については、前記のとおり、警察官の現場における説得行為が違法といえないことは明らかであり、また、砂糖様のものの予試験を経た上、被告人車両の検索について、被告人において消極的にせよこれに応じた事実はこれを認めることができるのであって、したがって、この点で、警察官の側に違法があったということはできないものといわなければならない。
三 以上の次第であるから、司法警察員作成の鑑定嘱託調書謄本、警視庁科学捜査研究所第二化学科主事作成の鑑定書には、その証拠能力が認められ、これらに、捜査段階における被告人の供述内容等を総合すれば、判示の事実は優にこれを認めることができる。
被告人は、公判廷において、判示の月日、場所等で覚せい剤を使用した事実を否定しているけれども、その供述内容は、種々不合理な弁解に終始するものにすぎず、とうてい信用できない。
(累犯前科)
被告人は、平成元年二月一四日横浜地方裁判所で覚せい剤取締法違反の罪で懲役一年六月に処せられ、同二年一〇月二日右刑の執行を受け終わったものであって、この事実は検察事務官作成の前科調書によってこれを認める。
(法令の適用)
罰条
覚せい剤取締法四一条の三第一項一号、一九条
再犯加重
刑法五六条一項、五七条
未決勾留日数の算入
刑法二一条
訴訟費用の不負担
刑事訴訟法一八一条一項ただし書
(量刑の理由)
被告人の本件行為は、覚せい剤を使用したというものであるが、被告人には、これまで四回の覚せい剤事犯による前科があり、覚せい剤との結び付きの強さが窺われるところである。
また、被告人は、公判廷において、種々不合理な弁解を繰り返しており、反省の情があるとは認め難い。
これらに照らすと、本件犯情は悪質であり、被告人の刑事責任は重いというほかない。
そこで、当裁判所は、以上を含む一切の事情を総合考慮の上、被告人に対しては、主文掲記の刑を科するのが相当であると判断した。
よって、主文のとおり判決する。
〔求刑 懲役二年六月〕